大阪出身。3才のときにクラシックバレエの教室をみて「あれやる」と言い出しました。
親に「1年経ってもやりたかったら習ってもいい」と言われ、4才からクラシックバレエを始めます。
阪田 陽子 Yoko Sakata
1987年12月13日生まれ
高校生になり、急に父が他界。
「やりたいことをやった者勝ち」と全人類が一度は聞いたことがあるであろう悟りを開き、
高校卒業後、ダンスの専門学校へ入学。Jazzやタップ、Hiphop、ヨガなどを勉強しました。
しかし、ひざが壊れ、3才からの「ダンサーになる」という夢がやぶれさります。
空っぽになり、焦ったハタチの夜。
「とりあえず、興味のあるコトを片っ端からやってみよう!」と思い立ち、
ダーツ、サーフィン、スノボ…手あたり次第に挑戦してみました。
様々なチャレンジの末、"肩が脱臼するようになる"という全く欲していないスキルを取得。
その後は、アパレルで3年間働き「モノをつくる人になりたい」と考え、
デザインの専門学校へ入学。2年間イラストやグラフィックデザインの勉強に勤しみ、
卒業したのち「ずっと大阪にいる…」と気付き、上京しました。
株式会社あとらす二十一の研修に参加し、webの基礎を学び、株式会社プランニング・ワンへ入社。
「職業訓練校の講師にならないか」とお誘いいただくも「方向性がちがう」と感じグループ脱退…
ではなく退社しました。
専門の同級生と展示会など開きリフレッシュしたのち、株式会社アド・イーグルへ入社。
3年間、求人広告・販促物・ロゴ・企業HPなど、さまざまな分野のデザインに携わり
「リーダーとしてweb事業部を立ち上げないか」とお誘いいただくも
「お受けするには、もっとwebのスキルが必要。勉強がしたい!」と自身の方向性が固まり、退社。
Webの職業訓練校へ通い、webの基礎+αを学びました。
訓練終了間近のとある日。講師の先生に「いついつ何時にここへ行きなさい」と1枚のメモを渡され、
従順に行動したところ、株式会社システムネットワークへ入社していました。
入社当初は、webデザイナーの部署に在籍していたのですが、給与アップとプログラミングの楽しさと
給与アップの誘惑から、システムエンジニアへジョブチェンジ。
「なんだかんだ最高の職場!」と感じていたところ…
父親のように面倒をみてくれていた父方の伯父が余命宣告をされたと大阪から一報が入ります。
父方の祖母は、もうすぐ100歳。母も実家で一人暮らし。
「もしかして…家族と共有できる時間には限りがあり、その時間はもうあまり多くないのでは?」と
全然もしかしない事実に気付き、2024年9月、大阪に戻ることを決意しました。
2024年11月、伯父が他界。
「ちょっ、待てよ」と平成を抱いた男ばりに自然にその台詞を何百回も心の中で唱えつつ、
2025年1月、約7年務めた会社を辞めて、大阪へ帰還しました。
一番近い血縁者が孫世代になった祖母が100歳を迎え、ご飯を食べなくなりました。
「甘いものであれば食べてくれるかも」と祖母が生活している施設に
いろいろなお店のプリンを届ける日々。近隣で販売している主要なプリンの固さに詳しくなりました。
2025年4月、祖母が他界。
続けて、義姉が入院。手術は無事に終わり、退院。
自宅療養期間に義姉はパン作りにはまり、パンをいただきに行く日々。
パン作りの工程に詳しくなりました。
2025年6月上旬、祖母の納骨も無事完了し、いろいろと落ち着いてきたため、
就職活動を始めることにしました。
今後の生活スタイルを考えたときに、場所に縛られず長く勤められる会社で働きたいと思い、
現在、フルリモート可能なお仕事を探しております。